「イギリスでは、イエス・キリストのことをホモセクシュアルのように表現したり、イエス・キリストがセックスしている描写を表現したりすることは法で禁じられているんだよ。1970年代にできた法律なんだけどね。」
という嘘か本当かわからないような話を今日聞きました。
本当にそんな法律がイギリスにはあるのでしょうか?
それにしても、もしこの話が本当であったなら、何度かこの日記にも登場させた、マーティン・スコセッシ監督の映画「最後の誘惑」なんかは、イギリスでは完璧にタブーということになりますね。
「ダ・ヴィンチ・コード」だって危ういでしょう。
真実はいかに!?

話はズレるけど、宗教ってなんてもろいものなんだろう、と最近思います。
信仰というものは目には見えないものです。
ですから、人それぞれ、宗教に対して違った解釈を持たざるをえないのです。
同じ宗教の同じ宗派を信じている人同士であっても、ひとりひとり、その宗教の捉え方はちがうはずです。
この世界には、人の数だけ宗教や信仰が存在するわけです。
ちなみに、私の場合は、宗教は持たず、信仰は代々家に伝わってきた日本仏教、日本伝統の信仰を基にしたものを持っていると思っています。
日本人には自分は無宗教だ、という人が多いようですし、実際にもそうでしょう。
しかし、皆信仰は持っているはずです。
死んだ先祖様が見守ってくれている、という信仰は、欧米にはないものですので、その信仰を聞くと、欧米人は驚くそうです。
しかし、私たち日本人にとってはあたりまえのことですよね。
特に、何も疑問をもたずに、そのような信仰を人それぞれ持っているわけです。

ところで、なぜキリスト教はあまり日本人の間には浸透しないのでしょう。
お隣の国韓国などは、今カトリックが大流行で、世界でキリスト教人口の割合が高い国の一つとなっていると聞きます。
なぜこのようなことを考えたかというと、遠藤周作著「沈黙」を再読したからです。
やはり、キリスト教と聞くと、外国の神様といった感じがしてしまいますか?
私はそう感じてしまいます。
いくら、礼拝の時間に神様やイエス・キリストの話を聞いても、いくら聖書の時間にキリスト教について教え込まれても、・・・・、キリスト教を心の底から信じようという気になったことは一度もありません。
なぜなのでしょう。
よくわかりません。

なぜ、宗教間で壮絶な争いが起こるのでしょうか。

神様はいるのでしょうか。
その神様とは、何教の神様なのでしょう。
ユダヤ教ですか、イスラム教ですか、キリスト教ですか。
そもそも、宗教によって神様が違うのでしょうか?
なんだかよくよく考えてみると、滑稽ですね。

当初書こうと思っていたことから大幅にズレた気がします。
そもそも何を書こうと思っていたんでしたっけ。

そう、少し思い出しました。
遠藤周作の「沈黙」。
この作品は中学か高校の時に一度読み、また今回読み直してみました。
こんなところであれこれ感想を述べることはできないような作品です。
以前読んだときよりも、ロドリゴの気持ちが手に取るように伝わってきて、つらかった・・・。
この本は、現在でもカトリックでは禁書扱いと聞きましたが、その解釈はおかしいのではないかと、今回読んで思いました。
遠藤周作の描く神は「沈黙」しているだけの神ではありません。
なぜそれに気が付けないのでしょう。
彼が描きたかったのは神の「沈黙」ではなく、神の究極の「許し」であったのではないでしょうか。
「沈黙」という題名の裏に隠されたものを読みとる必要があるでしょう。
以前も書きましたが、この作品は、マーティン・スコセッシ監督により映画化される予定なんだそうです。
彼ならできると考えています。頼みますよ。

コメント

wasabi
2006年2月17日3:56

のちに気持ちに重たいものの残る作品ですね。
けれど読んだときには、宣教師たちの息吹も感じました。

宗教の教えというのは、大概、それほど悪いものはないですね。
けれど、その解釈と運営していく人によって、ゆがめられることがある。
結果、私は教えにではなくて、そこにいた人に対しての嫌悪で、無宗教です。
心の信仰に、特定の神の名前を掲げることはない、と考えています。

nophoto
黄レンジャー
2006年2月19日17:45

カフェから来ました、黄おじさんです。
【キリスト教が日本で普及しない訳】
それは
総てを【神】と【悪魔】つまり【善】と【悪】
に2分別してしまう考え方が理由だと思います。
日本で広く生活に溶け込んでる【神道】や【仏教】では
様々な神様や仏様が出てきて多彩な姿を見せてくれます。
日本人にはそういう
多彩な考え方や性質を容認する宗教の方が
馴染み易いからなのではないかと思います。

ちなみにこのおじさんは
「全知全能の神が存在するなら
 どんな人間が呼んでも
 『神様』
 と呼べば
 同じ全知全能の神に通じなければおかしい」
という考えから
他の宗教を【邪教】として
排除しようとする考え方は変だと考えています。

結城 礼
結城 礼
2006年2月19日22:02

wasabiさん、黄レンジャーさん、コメントありがとうございます。
ヨーロッパ発のミュージカルを観ていたら、「????」な歌詞がありました。
で、調べてみると、聖書を読めばわかるような内容だったんです。
まったくそのミュージカル自体は宗教性の無いものだったのですが、やはり、宗教は文化としてその国の人々の生活に染みついているものなのだなぁ、と感じました。

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